愛しい敵車の殺めかた


はじめに

 略称"いとてき"、電〇文庫から好評発売中です。よろしくお願いします。

 wotのギアさん主催によるアドベントカレンダー23日目の記事になりますが、アドバイスのような内容にはなっておりません。そういうのは他の方が上手くまとめてくれていると思うのでそちらをご覧ください。

https://adventar.org/calendars/4725

f:id:Kape:20191222232223p:plain

 今回のテーマは、プレイヤーである私(Kapelana)にPVPにおける心情について再度問いかける禅問答になります。これを読んでくださる人の何人が共有していただけるか分かりませんが最後まで読んでいただければ幸いです。

愛しい敵車

 ある日のE-50に乗ってランダムで稼ぎ試合終盤に差し掛かったあたり、残っている敵はスーパーパーシング(以下スパパ)だった。締りのない空虚な思考によるプレイでとりあえずとダメージをとることしか考えていない私は、いつものようにマウスを滑らしスパパのキューポラをエイムする。するとその視線に気づいたのか、彼は主砲を上に向けふりふりし始めた。なんとかわいらしい光景だろうか。APCRにその手法は意味無いのに、必死に一発でも多く弾こうと頑張っている。

 キューポラはめんどうだから今度は砲塔脇のほっぺにエイムを置くかと考えていたが、フリフリするせいで左右に動いているそれは当たり所が悪ければ弾かれる可能性が出てくる。そう思ったら自然と狙いは車体下部へと移っていた。そう、何もキューポラや砲塔をわざわざ狙わなくとも最初から車体下部は抜ける。ここは平地だから角度がきついわけでもない。つまるところ彼は私のE-50と出会った瞬間から抜かれるのは確定していた。

 下部にエイムを合わせても砲塔と主砲の動きは変わらない。相変わらず必死にキューポラを守っていて主砲真下の弱点を晒しぬかれる場所を増やしている。どうやら狙いを変更したことに気づいていないようだった。

 これから俺が貫通させて撃破するのは、スパパであり、ふりふりしてキューポラを守ろうとしている一生懸命な初心者の意思そのものでもある。ゲームをプレイする行為では上級者から初心者まで何かを目指して意思を持ち行動している、その愛しい敵車のプレイヤーの意思を俺が今から殺すのだ。

f:id:Kape:20191222202539j:plain

 だがはたして俺は彼ほど懸命に真剣に意思を持ってプレイをしているのだろうか。自分に覚悟があるならいい、勝ちたい撃破したいより高いダメージを出したいと目標があるのなら餌食としてしまうのは上達するルールの上なので正当化される。しかし、真摯な彼の命と意思を、何も考えていない俺が奪う行為は果たして許されることなのであろうか。こんなにも愛しいスパパを、彼だってもっと弾いて撃ちたかったろうに。俺の堕落したAPCRなんかより・・・一瞬、クリックするのを躊躇った。

独白

 私はPVP歴としてガンダム動物園やボーダーブレイク(以下BB)、World of Tanks等プレイしてきました。これらのゲームは当然ではありますが敵を倒すことが勝利目標になり、そのためにより強い武器や機体から戦車、マップ戦術や連携を研磨します。

 「ゲームをプレイする」といっても意味は多岐に渡り、勝利するのが、敵を倒すのが、オンラインで顔の見えない相手と文字(声)だけでコミュニケーションをとれ連携したりコミュニティを形成するのが、機体や戦車が動いているのが、楽しいなどがあります。

 勿論一つだけの目的のために最初からプレイする人は少数派であり、というのもどれも幾許かの期間をプレイした後にやっと理解する、気づくのができる感情です。私の周りにはたびたび最初からそのゲームで勝利することのみを考える人がいたのは確かですが・・・

 私は最初は機体や戦車が動いているだけで楽しいと思う派、つまりキャラゲー派でしたので勝ち負けなどどうでもよく、戦車が動く!キャタピラが回って主砲が撃てる!おまけに敵が中に人がいて撃ち合いの競争もさせてくれるのか?なんていいゲームなんだ!がWotとの出会った時の心境でした。

 段々試合数を重ねる内にそのゲームで上手くなりたい(この時は沢山勝ちたい)と思うようになります。その過程で上手い人とコミュニケーションを取ってもらったり教えてもらう中でコミュニティを形成し、試合の中での連携を通して楽しいや嬉しい悲しいなどの感情を共有する。オンラインゲームという名の底のない沼の中で貴重な人生の時間を溶かすのは、ある意味で共犯者的だなと今更ながら思う。ストックホルム症候群っぽい。

 戦車を初めて1年半あたりで敵を撃破するのが堪らなく楽しくなってきた。連携して敵を突破し「勝利」するのが楽しかったのが、連携し「敵を撃つ」のが楽しく気持ちが良いんだと気づいた。確かにガンダムでもBBでも撃破するのが結果として勝利といったひとつの結果で現れるだけで、最初から私は敵を撃つのが気持ちよいと感じるプレイヤーだったのだ。

 自身の方向性を理解できたならフォーカスを当てる。やりたい事とやるべき事が重なったならばそれを実行するだけ。

 雑魚を延々と刈り取るために戦場で最大効率を求めるのも中々楽しかったのだが特に新しい発見は無く、敵を撃破するのよりマップや編成ごとにルーティンを研ぎ澄ますのが主な作業であった。そう、快感が作業にまで墜ちてきていた。最早現状ではここまで研磨された自信を打ち砕くような衝撃に出会うことはここではないと考えた結果、WGL(以下トーナメント)に繋がる。

 とりあえずWN8を高めWGLチームを立て参加し優等をとり上手いプレイヤーになる最低条件を満たしていく為に必要とされる行為は、私が考えるに敵を倒し続けるといった行動から生まれた幾つもの結果でしかなかった。

反芻

 自己研磨において満足するレベルや目標に達したとき、リアルや趣味、人間関係や他の事にも当てはまるが、今まで丁寧に丁寧に積み上げてきた積み木をぶち壊す破滅願望を実行する、これほどにまで痛快な事はない。ただしリアルにおいては自我に対し抑圧が働くので妄想レベルに留まる。

 これはオンラインゲームではどのように作用するのか。例えば、私が何かの三優等チャレンジ、いやダメージのスコアアタックの方が適切だろうか、をしている時、自走砲ゼッコロケツブロなどによってショボ沈してしまうとする。この瞬間目標を3000dmgとしていたとき0ダメで死んだなら取り返すのには3000以上の試合を数回または6000を取らなければ巻き返すことは出来ない。

 やってしまったと思う一方で開放されたと思う自分もいるのは確かだ。今までマップと編成と味方の動きをにらめっこして大事に育ててきた目標と自身の意思を打ち砕く。スコアを出してツイッターで自慢して自己満足に浸るのも、積み上げてきた意思を砕くのもどちらも同じくらい気持ちのよいのだと、その時知る。

 この気持ちを坂口安吾著『堕落論』では次のように表現している。

 

 昔、四十七士の助命 を排して処刑を断行した理由の一つは、彼等が生きながらえて生き恥をさらし折角の名を汚す者が現れてはいけないという老婆心であったそうな。現代の法律にこんな人情は存在しない。けれども人の心情には多分にこの傾向が残っており、美しいものを美しいままで終らせたいということは一般的な心情の一つのようだ。十数年前だかに童貞処女のまま愛の一生を終らせようと大磯のどこかで心中した学生と娘があったが世人の同情は大きかったし、私自身も、数年前に私と極めて親しかった姪の一人が二十一の年に自殺したとき、美しいうちに死んでくれて良かったような気がした。一見清楚な娘であったが、壊れそうな危なさがあり真逆様に地獄へ 堕ちる不安を感じさせるところがあって、その一生を正視するに堪えないような気がしていたからであった。

坂口 安吾. 堕落論・日本文化私観 他22篇 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3546-3559). . Kindle 版.

 

 私は血を見ることが非常に嫌いで、いつか私の眼前で自動車が衝突したとき、私はクルリと振向いて逃げだしていた。けれども私は偉大な破壊が好きであった。私は爆弾や焼夷弾に戦きながら、狂暴な破壊に劇しく亢奮していたが、それにも拘らず、このときほど人間を愛しなつかしんでいた時はないような思いがする。

坂口 安吾. 堕落論・日本文化私観 他22篇 (岩波文庫) (Kindle の位置No.3662-3668). . Kindle 版.

  引用元によればこの自滅願望のようなものは一般的な心情であり、難しい目標は一種の綱渡り的な性質を持っているのが理解できる。渡り終えたとしても途中で落ちてもどちらもよく、有終の美と緩慢な死どちらがどちらなのか誤謬させられてしまう。正直これについての判別はランダム戦において考えていても分別が付かないので一旦環境を変える事にする。

 有終の美と緩慢な死、どちらが正解かはライフスタイルにおいて存在していないあるいはしている。そう想ったのはWGL(APACリーグや個別大会等)に参加して暫く経ってからだった。今更ながら人の昔話ほど退屈なものはないのだが、私が所属していたBGにおいてそれを感じ実際に目にすることが多かった。

 初期の段階においては敵チームを倒し勝利するのが一番であり嬉しく、そこには淀みの無いメンバーの意思統一が存在し昵懇な間柄の、ましてや不純物的意図が入る隙間などは無かった。私はそれこそが求めていた物でここでそれを感じることこそが居場所と信じ当時は疑いもしなかったが、人間だからこそ堕ちるのであり、生きているだけで堕ちる者でもある。そう、半年あたりから快楽が堕落を始める。

 初期の崇高なる設計をメンバーの入れ替えで大きく外れ始めると(今想えば抜けた彼らはそれをより早く察していたのかもしれない)人間関係にひびが入る。ひびと言っても何も喧嘩や険悪な雰囲気になったりお互いを避けたりするといった決裂ではなく、なんとなく一緒に目標に向かう気持ちの方向性がずれていたり阿吽の呼吸が出来ず連携に間違いが発生したり、究極的には日常的な会話が致命的に合わなかったりする、居心地が悪くなる。しかし、WGLはサラリー制度が発足し割のいいアルバイト程度の収入が発生して尚且つ大会の賞金もあるので抜けるかどうかをそもそも天秤に掛けること自体ありえない。

 ここで発生するのが終わり方の選択である。有終の美と緩慢な死、皆が望むのは前者のような大会で優勝や、または難しい戦車で自分の定めた目標を達成したりCWEで満足いく結果を出しそれを機にスパッとやめる。

 が、これを実行できる人間は極少数であり、大半の人間は有終の美を求めながら緩慢な死を迎えてしまう。そこにあるのは肥大化したプライドか。

 ゆえに私はBGの最後、名前を変えて最底辺で構わないから賞金(といっても新入社員の一か月分の手取りほど)を取りにいかないかと誘われた時、哀惜と憐憫の念を覚えながら辞退した。尊大な自尊心が私にはまだ残っていた、あるいは臆病な羞恥心か。何よりも一度は確かにあったチームの志がここまで墜ちて、加えて死を認めるのではなく名前を変えてごまかそうとする、神聖でないものを自分たちの中では神聖たらしめようとした行為を許すことができなかった。

清貧でかまわない 笑われても仕方ないが金のためだけなら俺は戦わない

誇り高きカス野郎 社会のためになりたい やるしかない 迷うならやめちまいな

27才のリアル / 輪入道

  こうして(なんやかんやありトナメはWGにより爆破された)野武士へと帰ってきた訳であるが、ランダム戦は相変わらずで、やはり少数戦が刺激的だと感じる心を忘れ去ずにいた。

コミュニティ

 少数戦やCWの楽しさの正体とは一体何なのであろうか。それは今までランダム戦で培ったポジションや動きの根本的常識であるテンプレートを覆す、そこにコミュニケーションを加えて起こる、何万戦としてきたであろう自身の破壊にある。破壊と言っても破滅的意味ではなく知識を生かしたゲームシステムの昇華であり、言わばWoTアップデートである。

 ここからは各々の感性によるが、CW(15vs15)と少数戦(7vs7)では好き嫌いが大きく分かれる。前者は良くも悪くも一人あたりに求められるスキルが少ない、一方で後者においてはプレイヤースキルは勿論だが一発が勝敗を左右し試合開始から何秒でリポジションするかなど繊細さが勝負を分ける。

 少人戦は自分のクリックで勝敗が変化すると考えたら堪らなく興奮する。相手も自身と同じ、ランダム戦の奴らとは異なった、勝つといった覚悟を持った人間だ。その高尚なる意思を殺すのもチームメンバーの意思を生かすのも私の指に託されている。これ程、正正堂堂が合う瞬間を私は他に知らない。

 CWでは15vs15で残念ながらこの感情が薄れてしまう。それを行えるのは、タクティクス同士の戦いをする指揮官だけで、兵士はやる気があるのからないのまで玉石混交な環境になる。これに関してはほぼ毎回と言って間違いない。仮に2人のプレイヤースキルが拮抗していると仮定して、キレるのを正当化する訳ではないがそれほどまでに熱く真剣に取り組んでいる男と、それを避けたり馬鹿にしたりする男、明確にCWに対する熱量に差異がある。これらが同居してしまう事ほど不幸なことはない。ゆえに私はあまり好きではないのだが今現在はこれしかない。なので自身の熱量を調節し口と思考を慎み、我慢する。楽しいのだろうか。不幸になるのは私だけなので社会性を持ちコミュニティルールに則るのは正解であるが、内なる意思の堕落はとどまるところを知らない。

敵って誰だよ

 自己紹介は十分書いたので敵について分類していく。

この辺の敵

  1. 敵プレイヤー
  2. マップとオブジェクト
  3. 茂み
  4. ケツブロ
  5. 自走砲
  6. わけわからんLT

1.敵プレイヤー

 敵プレイヤーは主語が大きすぎるので厄介なのだけピックアップしていくと、まず挙がるのは上手い奴ら(wn8 2500~等)の中戦車と快速HTである。彼らを放置しておくと味方の黄色以下がしゃぶられ戦線が崩壊しダメージを稼ぐゲームメイクをすることができない。

対抗策として

A.彼らが溶かすのと同じかより速く敵の弱いプレイヤーを溶かす

B.彼らと対峙する

の二択がある。自走砲がいなければAをとる価値はあるが、もし2枚以上いるならば即座に飛んでくるのでアクティブに動けず困る展開が多い(ex.マリノフカ北)

 Bに関しては非常にリスクが高いが、もし同じtierで彼らを倒せたなら残りをしゃぶり放題のボーナスタイムが発生する場合が多い。私の周りの大体のプレイヤーはソロの場合でAを、プラトーンならBを選択する。のが3,4年前のセオリーだった。

 現在はプレイヤーが勝率よりもダメージと優等を重視する傾向にあり、Aをプラトーンで選択した場合における結果としての勝利が多く見られる。アノニマイザーも実装された以上こちらの方が適応しているように思える。私はソロ専なのでプラトーンの動きは詳しくありませんが・・・

 

ex.想像通りの試合とはちゃめちゃな試合

 試合の中で対峙する相手と最近のランダム戦における戦闘リズム

  • 序盤は存在するならばトコトコ族を撃ち通行料を得たりHTがポジションに着く前にすでにエイムを置いておき一発いれる
  • 中盤にはある程度腕のあるプレイヤー(程々に削れている)との対峙
  • 終盤に残っているのは死にぞこなった黄色以下のプレイヤー

 これが想定通りの試合の流れであり、この状況で稼いだスコアは予想される範囲の嬉しさと満足さが得られる。サプライズは特にない。ルーチンワーク的には面白いが対人的には面白さを失ってしまっている。AIと戦っているみたい。

 はちゃめちゃな戦闘こそ対人ゲームにおける醍醐味であると考えられる。(省略)

 

2.マップとオブジェクト

 まともに撃ち合いをさせてもらえなかったりする苦手マップはBANマップとして対策をするのが今でこそ可能となったが、それでも嫌なマップは数多く存在する。例えば湖の村だったりストジャンキもやだしマリノフカの北や崖の北も苦手でミンスクはもちろん漁師の港も敵だ。それに加えて微妙にオブジェクト判定がバグっている岩や地面、滑る岩、謎の柵(ex.ムロヴァンカ中央、崖飛行場の遺跡や飛行機)、などがあり楽しさやモチベーションを削ってくる天敵である。

 マップの飽きもモチベーションの敵で最早要望になってしまうが、HDマップは存在してもいいのだれけどもそれ以前のマップも残し共存の道を取ってほしい。というのも例えば旧エーレンと現エーレンどちらも存在したり、コマリンや湿地もそのまま残したり、聖なる谷も修正前と後で2パターンあれば糞マップ共ではあるが、動きや配置のテンプレート化がされにくくなり飽きるのに今以上に時間がかかる。WGには何も期待していませんが・・・

3.茂み

 これは自身の知識との戦いである。二重か、どこまでばれないか、このタイミングならいつも使えない茂みが有効になるのではないか、隠蔽率的に200mまでなら15mルールを使えば視界460ぐらいの奴にはばれないかなど状況判断力と思考の回転率との戦い。私自身もまだまだなので多くを語ることはできないが詳細な事前知識を要求される。

4.ケツブロ

 アムロカミーユに「後ろにも目をつけるんだ」とアドバイスするセリフがある。劇中においては正面の敵と戦いながら戦況全体を見渡し見えていない後ろの状況を予測し把握することで、一歩先の行動をとるのを意味している。

 wotにおいては稜線内側などで稼ぎすぎると俺も俺もとずいずい味方が来る際にこの言葉を思い出す。後ろから感じるのだ、ケツブロの視線を。脳内でニュータイプの例の音が響く。はっと後ろを見ると味方のVK100pが真っ直ぐケツに向かってくる、あいつは間違いなくケツブロだと決め付け、稼ぐだけ稼いだらリポジションを私は考える。私のブログの読者の中にはこの感覚を知っている人も少なくは無いだろう。

 稼ぎすぎはよくないな、と思わなければならないこのゲームは一体なんなのだろうか。 味方が敵なのか、他人の分まで食べてしまおうとする強欲な自分がいけないのか。

 

5.自走砲

 最早言葉は不要か。

 功利主義者的思想であるが昔の仕様でも今仕様のでもいいからさっさと一枚制限にして欲しい。一枚なら時間管理ができるので撃たれてもなんとも思わないが、これが三枚になると誰がいつ撃ったのかもはや把握するのが不可能になる。(一部)自走砲ユーザーも一枚制限の方がいいと要望しているのに何を頑なにクレームの元を修正しないのか甚だ疑問。HTは正面の敵と側面の敵の射線を考えてクロスファイアポジションにならないよう動いているのに、そこに第三の射線を複数作るのは本当に勘弁して欲しい。

 お偉いさんにゲームをプレゼンして実際にプレイしてもらう場合にHTだとボコボコにされ何が面白いのか分からないので自走砲に乗せざるをえず、その時に一枚制限だとマッチ時間が長くて不満を持たれてしまったり、「重戦車や中戦車はすぐやられてしまうが、この自走砲って車種は一方的に撃てていいね!」のような評価をもらってしまい、が故に枚数制限も自走砲nerfも出来ずに現在の状況に至ったのではないかといった妄想をしている。(WG性善説

 もしくはWG自身は本当に自走砲の現枚数が正しいと思っている。(WG性悪説

6.わけわからんLT

 ガンレイ積んで後ろで芋ってる152mm積んだT49とシェリダン、お前らだよ。相手はEBRなんだが・・・(六感の音が鳴り響く)

撃つべき敵

   戦いと勇気は、隣人愛よりももっと多くの大きな事をなしとげた。あなたがたの同情ではなくて、あなたがたの勇敢さこそこれまで不幸な目にあった人たちを救った。
 「善い、とは何か?」とあなたがたはたずねる。勇敢であることが善いことである。小娘たちに言わせておくがいい、「善いこととは、優しい感動にみちたこと」と。
 人々はあなたがたを無情だと言う。しかしあなたがたの愛情こそほんものである。そしてわたしはあなたがたの愛情をあらわす際の羞恥感が好きだ。あなたがたはあなたがたの満ち潮を恥じ、他の人々はかれらの引き潮を恥じる。
 あなたがたは醜いだろうか? よし、わが兄弟たちよ!それなら醜い者のつけるべき外套、すなわち崇高さを身にまとうがいい!
 しかしあなたがたの魂が偉大になると、あなたがたの魂は傲りはじめる。あなたがたの崇高さのなかに、悪意が宿る。わたしはあなたがたをよく知っている。
 悪意という点で、傲り高ぶる者と弱者が仲良しになることがある。かれらはおたがいを誤解しているのだ。わたしはあなたがたをよく知っている。
 あなたがたは、憎むべき敵をのみ、持つべきである。軽蔑すべき敵を持ってはならない。あなたがたはあなたがたの敵を誇りとしなければならない。そのときはあなたがたの敵の成功が、あなたがたの成功ともなる。

ニーチェ; 氷上 英廣. ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫) (Kindle の位置No.1009-1023). . Kindle 版.

 『ツァラトゥストラはこう言った』"戦争と戦士"からの引用です。いい本なので一度是非読んでみてください。基本的にツァラトゥストラが説教する内容ですが、全方位について述べているので、読んで刺さる章がその時の自身の状況によって変化します。おすすめです。

 PVPにおける敵、ルール上の敵ではなく、打倒すべき対峙する敵または好敵手とは一体誰のことを指すのであろうか。wotであれば「味方すら敵なので15vs15ではなく1vs29である」と高らかに述べる人を度々目にする。しかし私はそうは想わない。最終的な敵とは結局のところ自分自身であり「1vs1」である。

 ランダム戦での目標(例えば自分が定めた要求ダメージ)に達すまでイモだろうが扇動だろうが使える手をすべて使ってどこまで非情になれるか。そこに味方の妨害が加わろうともそれすらも予測しカバーする想像力を持つ。

 ケツブロされて自走に撃たれてしょぼちんしてしまうなどで味方を恨んだところで仕方がない、仕返しにケツブロし返したところで失ったHPは戻ってこないし粘着される要因にもなる。黙って引くことが要求されている物に対し最も誠実な回答である。

 ここで憎むべき敵とは味方やライバルではなく、目標を定めた自分自身なのだ。他のプレイヤーはこちらの意図なぞ知る由もなく目標も違えば考えている内容の根本(戦車が動けばいい、無課金でストックから開発するなど)が異なるので、間違っても味方のせいにしてはいけないし、敵のゼッコロに文句を言うべきではない。軽蔑すべき憎むべき敵を外に作ってはならない。恐れるべき敵は定めた目標に対する驕った自身の意思である。

  最初に述べたスパパを撃つときに生まれた迷いは、私の驕りを示している。そのおかげで、愛しい敵を捕らえることができた。ではいかにして殺そうか。

殺めかた

 tier10の5Aに乗り357or447を引いたとき、まずはどのように、どこでなら、格下と撃ち合えるかを考える。撃ちたいのはIS-3、3発正面から抜いて上振れば撃破できる。だが、そこに同格が来ては興ざめなので最前線を選ばなければならない。初手は前線の一歩後ろの茂みで様子を見るか、そもそも同格の戦車が弱いなら全員倒すの心意気でいくのもあり。

 それの意思を殺すやり方は複数あり、近距離で車体を乗り上げ最大俯角で行うハルダウンによる射撃、中距離の有利な地点から相手の多少硬い部分を抜く射撃、そして遠距離からのクロス。自走砲とポジションの関係から推測する。

 ステップ北で自走砲がいないなら最前線でもいいし後ろの二連木でもいい。ルイン南ならG1で有利ポジションでハルダウンや街のEF2まで張り付いてもいいし、EF9も熱い。

ルイン南

f:id:Kape:20191211170932j:plain


 ルイン南(357)を例にするならば優等かダメ―ジか勝率かで行く場所が異なるのがわかるだろうか。ダメージならG1一択だし、優等なら真ん中を観測しクロス組めながら撃ち合えるEF2、勝率だけを求め味方を信じるならEF9もなしではない。

 目標を定める。今回やりたいことはIS-3を撃つなので街中に行きたい。なぜならば俺が奴を殺すから、他の誰にも取られたくはない。最終的な統計スコアが安定するのは間違いなくG1であるが味方を信じるといった博打要素を自分から孕んでまで、IS-3を殺したい。塗装も無く主砲は初期砲の彼を誰にとらせてなるものか。

 試合が始まったが街中の味方がなんだか心もとない。仕方がない、今回はG1で甘んじるか。この瞬間、私の意思が捻じ曲がる。G1平原どちらでもいいが後手に回り結果的に5000ダメージを稼いでも心地よい気分にはならないだろう。

 目標から逸脱し始めている、がショボチンは受け入れられない。脳内の予測と殺意がせめぎ合う。試合の終盤に確かにGHJKラインを行き来して稼ぎIS-3を殺したが、嫌な予感通りベコベコに減った彼を最後に倒しただけで当初思い描いていた正面から3発ではなかった。

 試合を終えリザルトを開いてみれば、後手後手で爽快ではなかったがダメージは5000に達し平均ダメと優等が上がる結果となり満足はした。しかしどうだろうか、この5000は辛いポジション(G1K2)にて堪え難きを耐えたもので、マップアドバンテージも無ければ、相手の布陣を受け流し塹壕の中で嵐が過ぎるのを待っていたような辛さがある。求めていた彼の意思を手にかけることができなかった消化不良の喪失感が心に沈む。

 端的に言えば、結果を目標にするのか、試合内容を目標にするのか、不倶戴天の敵同士両者を求めてしまった故に選分けられなかった事実へのもやもやが心を占める。

 未だにこれらについて私自身どうすれば答えが出るのか分からない。今はただ、どんな敵に対しても煽りなどではなく、嬉しいといった感情を持って敵を撃ち続けている。

おわりに

技術のみを追求すればセンスの壁に阻まれる。センスを追求して感覚を磨けば、やがて時間の積み重ねという厚みに潰される。

月に寄りそう乙女の作法2

 この一文はプレイする前に常に私の心の中で反復され続けられている。ランダム戦でいくら稼ごうが磨こうが少数集団戦における敗北時の満足感やロシアンスパユニ(環境が違うのは重々承知だが)との差に、一方で集団戦に籠ってしまえばランダム戦(プラトーン、戦績、勝率、ダメージ優等etc)が疎かになりwotの本質と乖離していく。両立することが可能ならばいいのだが二足の草鞋は履けない。

 終着点として、強い意思のぶつかり合いである集団戦に長く居すぎたせいか敵の心情を読み取る余裕がランダム戦では生まれてしまった、などと偉そうな態度へ堕ちてゆく驕った思考。対峙した初心者の初々しい意思を殺す、それらから発生する対人ゲームを楽しいと思える感受性の堕落を恐れているだけの唯の臆病な人間でしかない。

f:id:Kape:20191222202634p:plain

 そう際限なく気分を沈めながら、スーパーパーシングの下部へ向け、優柔不断な人差し指に添えられた左クリックを深く押し込んだ。

 

 

  

P.S.

冷戦時代の兵器(61式からM1A2エイブラムスなど)をつかって遊べるRTS Wargame: Red Dragonが今ならSTEAMで80%オフ、596円!夕飯一食我慢しろ!

https://store.steampowered.com/app/251060/Wargame_Red_Dragon/?l=japanese

f:id:Kape:20191222221221j:plain

f:id:Kape:20191222221241j:plain

17(DLC除く)の国家から1450以上のユニットが登場!この中から自分でデッキをくみ上げるシステムで奥が深くオススメです。

f:id:Kape:20191222221607j:plain


発売から数年経っていますが人はANZ鯖くらいいます(多分)。SteelDivision2は嫌いダメえうげん君は今すぐwargameの新作開発に着手しろ。

1vs1,2vs2,3vs3,4vs4,10vs10まで1試合あたり20~40分と軽くプレイ出来るのでこの機会に友達と一緒に買ってやってみてください。ATLUS民または知り合いには投げつけていますが他にもやりたくなってみた人がいたら連絡ください。僕はいつまでも待っています。

f:id:Kape:20191222221826j:plain

f:id:Kape:20191222221854j:plain

護送されるLVPT君

f:id:Kape:20191222222045j:plain

かっこいいスホーイ

起承転結なし、生の感情、昔話、雑然とした文章で一万字を越えてしまい反省しております。ここまで読んでくださりありがとうございます。